そんまのブログ

青年海外協力隊2021年7次隊(2019年3次隊)として2022年3月よりインドラクナウで柔道隊員として活動

インドお葬式破産

ナマステ!

 

BS世界のドキュメンタリーで国際共同制作の「お葬式破産」(2017)を見ました。

 

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http://www6.nhk.or.jp/wdoc/backnumber/detail/?pid=190218

 

ヒンドゥー教には「弔いの宴」というものがあります。それは火葬から13日目に行われる葬送儀礼です。都市部では行われなくなっているそうで農村部を中心に行われているそうです。

 

「弔いの宴」は親類縁者だけでなく近くの村や縁もゆかりもないような何千人もの人たちを招待し食事をふるまいます。

この儀式の始まりは、故人の霊魂に平安と祝福が与えられることを願ってカースト制度で頂点に立つバラモン階層の13人と親類縁者に食事をふるまうものだでした。

近年は上記に書いたように対象が様々な人にまで広がり遺族にとってとてつもない負担になってしまっています。

 

莫大な借金を抱えてしまい返済できない遺族たちは子どもを売ったり社会的地位を失ってしまったりします。

そんな中、大学の教授、警察官などの知識層の人々がボランティアとして家族や親族、その地域の権力者などを説得する活動が描かれています。

弔いの宴は無意味なもの、そのお金を子どもたちの残された家族に使うべきだと何度も説得をし地道な活動を行っています。

それでも借金を背負ってしまった場合は教育費もままならないためにボランティアでその子どもたちの教育費の面倒を見たりしているそうです。

自分も人の弔いの宴に行ったから自分も開かないといけないじゃないと自分の家族の面目がという社会的圧力を感じて止めれない場合もあるそうです。

 

なぜこのように13人のバラモンから何千人もの人に食事をふるまうことに変わっていったのかという疑問がありました。

それは子どもがお母さんに「なぜ弔いの宴をする?」のと質問したシーンがありました。そこでお母さんは「宴をするとお客様たちが私たち家族に注目する。自分たちのことをよく知ってもらえる機会になって運が良ければ縁談もある。そして貧乏だと思われないため。そして人のには行っておきながら自分の時は呼ばないのは周りから蔑まれるでしょ」と言っていたのだ。

初めにも書いたように故人の霊魂に平安と祝福が与えられることを願って開くものだったがお母さんはその説明をしませんでした。

私は故人の為から残された人たちのためへと変わっていったのが原因ではないかと思いました。おそらく何千人ものを招待する弔いの宴で成功した人たちもいたのでしょう。そういったものが続いてしまい社会的圧力を感じて止めたくても止めれない規模も小さくできないと言ったことが連鎖として繋がってしまったのではと思いました。

 

これではボランティアの人たちは悪習だからすぐにやめるべきだと言っていますが弔いの宴全てを止めてもいいのだろうかと思いました。故人の為に以前のような形でまた変容させることは出来ないのだろうか。しかし宗教も住んでる国も違うのでこの考え方は良くないのかもしれません。

 

 

まだまだ書きたいことはあるのですがただでさえ長くなっているのにもっと長くなってしまうのでここらで終わろうと思います。文章もまとまって無くてごめんなさい。

 

とても考えさせられるものでした。

もし再放送などで見る機会があれば見てみてください。